Together 柿沢未途さんとの二人三脚

1.失意の底から

 
柿沢未途・衆議院議員と現在につながる知遇を得たのは、平成19年に行われた東京都議選の補欠選挙、平成21年の同本選挙と2回の敗北を喫した頃でした。
議員と呼ぶのも何だか堅苦しいので、ここでは柿沢さんと書かせて頂きたいと思います。
 

(自民党時代の討議資料より。当時はまだ40代)
 

柿沢さんはちょうど禊(みそぎ)の最中で、そして私は2度の落選を経験してお互いが失意のどん底にいた状態でした。
それまではお父さん(柿沢弘治・元衆議院議員/外務大臣)の印象しか無かったものの、自らの責任を取っての処し方に一目置くようになりました。
いまも柿沢さんのホームページには「皆様へ」と題した一文が掲載されています。
 
http://www.310kakizawa.jp/minasamahe/
 
私も読みました、何度も読み返した。
特に、お父さんの背中を流してあげたときの親子の会話は、不覚にも涙しました。
「僕より年下だけど、結構しっかりしている。それに骨もある」
そう感じたのを今でも覚えています。
 

 
2.ふとした縁

 
国会ではちょうど、渡辺善美・衆議院議員が「みんなの党」を旗揚げし、政界再編を目指しての胎動が始まった頃でした。
禊が一段落した柿沢さんも結党に加わる事になり、衆議院選に挑むことになった訳ですが、持ち前のバイタリティと粘り強さで当選、地域の代表として国政に進む事になりました。
 
そのころ私は、次の統一地方選に向けて捲土重来を誓ったばかりでした。
そんな折、区議会議員として地域の心得があった事もあり、柿沢さんの秘書として事務所入りの誘いを頂きました。
もともとは私も自民党所属の一区議会議員でしたが、大きな声ばかりがすべてではない。それに、区議会議員への初当選後に学んだ永田町・尾崎行雄財団のモットーは「不偏不党」だった事もあり、もう一度挑戦する前の期間限定で誘いをお受けする事に致しました。
前職(YKK)の副社長が渡辺代表と懇意にされていた事もあり、秘書として柿沢さんをお支えする事になった次第です。

 (みんなの党時代、柿沢さんと二人三脚の日々)

 

 
3.弥次喜多道中

 
前回平成23年に行われた統一地方選で、再び区政に復帰させて頂くまでの約2年間、柿沢さんとは朝から晩まで行動を共にしました。
一緒に地元を回る中で、改めて「この人は、すごいな」と感じる場面が何度かありました。
 
柿沢さんは、どこへ行くにも名刺の束を持って歩きます。
お祭りの屋台の行列待ちや地元の催物で人が集まっている所にもどんどん飛び込んで行き
「どうも、柿沢です」
ひたすら挨拶して回る、名刺がなくなるまで延々と続ける。
 
「柿沢さん。どうして、そこまでするんですか」
 
「自分たちだけではどうにもならない、そんな困ったときに思い出して貰えたらいいんです。そういう時はいつでも連絡をください、って。
国が解決の筋道をつけなければいけない時は、遠慮なく質問していきます」
 
事実、柿沢さんは2009〜2012年の国会質問回数が約260回、全国会議員の中で一番の質問数でした。その中には2011年、東日本大震災での被災地の衛生対策なども含まれています。「夢の島」再生の経験を活かした、江東区選出ならではの質問でした。
 
政治家は、地域の人にとって遠い存在ではいけない。
その為に、いつでも連絡がもらえるように名刺を配る。
並大抵の議員には出来ないことです。

 
(区政復帰に向け、ありったけの想いを注ぐ)
 

私自身、柿沢さんの行動力についてゆくのは大変です。
けれども、一緒に歩いていると、よくわかるんです。
「ああ、この人は本当に政治がしたいんだ。政治家である事はあくまでも手段であって、あること自体が目的の人じゃないんだ」
 
尊敬と同時に、私は柿沢さんの事を信頼しています。
 
 

 
4.みんなから結い、維新を経て民進。そして無所属へ

 
2013年の夏、柿沢さんと私は「みんなの党」を離れました。その後「結いの党」「維新の党」「民進党」を経て、現在は無所属として活動しています。
私の出発点は祖父の代から自民党、柿沢さんのお父さん、故・柿沢弘治先生も自民党。それが今では無所属なわけであります。
 
「政党って、なんだろう」政治の世界にいると、よく思う事があります。
私が尊敬する政治家・尾崎行雄先生も次のような短歌を詠んでいます。
  
国よりも党を重んじ党よりも身を重んじる人のむれかな
  
大きな政党に属していると、選挙のときなどは有利なのも事実です。
ただし、信念や有権者の期待に基づいて行動しつづけて行けるかというと
必ずしもそうではない事があります。
 
柿沢さんは渡辺代表と袂を分かち、そこから「結いの党」結党に向けてみんなの党を離れました。不思議と、私自身は迷いが無かったです。
 
柿沢さんを、一人にしてたまるか。そういうところは、私も本多の血をひいているのかも知れません。
祖父・本多市郎は軍政の真っただ中においても政治信条の師であった尾崎行雄先生と同道し、初の衆議院選挙当選においても尾崎先生からの推薦一本で戦い抜きました。
 

本多市郎と尾崎行雄
(左が祖父・本多市郎。右は議会政治の父・尾崎行雄)

 
どんなに少数派であっても、自らの信念は曲げない、
そして地域の幸せを考えて行動する。
 
柿沢さんは、どこか尾崎行雄先生の信条と重なるものを感じます。
どちらも大政党には属せず、信念を大事にした政治を忘れない。
だからこそ、私もついて行こうと思いました。
ホームページの名前(ドメイン)も、柿沢さんの「310kakizawa.jp」を意識して「ki410suzuki.jp」に変わり、現在に至っています。
 
 

 
5.二人三脚で、江東区を支えていく。

 
国政と区政。フィールドの違いはありますが、私自身は柿沢さんとの二人三脚、車の両輪を意識しています。
 
国の事はぜひとも柿沢さんに頑張って欲しいと常に思っています、逆に江東区の事は私に任せて欲しい。そうやって、地域と国を、互いに良くしていくべく頑張っていきたい。
つよくそう思います。
 
 
過去にすがったり、逆にこれまでの歩みを否定するでもない。
良いものは良い、是々非々でやっていく。
私自身、そういう政治を常に心掛けて参ります。
 
私は江東区を愛しています。愛しているからこそ、これからも柿沢さんとの二人三脚で、この江東区を良くしていく。
そう決意しています。
 
区議会議員として皆様の負託をいただき、活躍の場を与えて頂ける限り、
この想いはずっと変わりません。
 

柿沢未途 鈴木清人
(柿沢未途さんと共に)
 
武田翔ツイッター
武田翔フェイスブック(個人)
江東区議会